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アーツ前橋「やなぎみわ」展 神話機械 2019年4月19日〜6月23日

現在、アーツ前橋では、「やなぎみわ展 神話機械」が開催されています。
1990年代から現在まで、現代美術と演劇界で活躍してきた美術家・やなぎみわの10年ぶりとなる大規模個展(高松市美術館・2019年2月2日~3月24日、アーツ前橋のあと、福島県立美術館、神奈川県民ホールギャラリー、静岡県立美術館を巡回予定)。 ぐんまの演劇ポータルサイト・グンゲキのアドバイザーであるbonmediaが、「やなぎみわ作品」の発想のきっかけや作品の成り立ちなど、演劇人としての興味から、アーツ前橋担当学芸員・辻 瑞生(みずき)さんに展示に沿ってお話を伺いました。

やなぎみわ略歴

1967年神戸市生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院(工芸専攻)修了。
1990年代半ばから若い女性をモチーフに、CGや特殊メイクを駆使した写真作品を発表し、世界的に高く評価されている。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表。2010年より演劇プロジェクトを始動。大正期の日本を舞台に、新興芸術運動の揺籃を描いた「1924」三部作(2011-12)を美術館と劇場双方で上演。2014年からステージ・トレー ラー・プロジェクトを立ち上げ、2016年には野外劇「日輪の翼」(原作:中上健次)を横浜・新宮・高松・大阪で公演。2018年高雄市美術館(台湾)の国際企画展に招待され、新作写真〈女神と男神が桃の木の下で別れる〉等を発表。

 

やなぎみわ氏(提供:熊野新聞)

やなぎみわ氏(提供:熊野新聞)

2019年5月17日、18日 マシンと俳優が共演するライブパフォーマンス『MM』上演

bonmedia(以下b):マシン4機が並ぶ展示空間でのライブパフォーマンス『MM』上演が終わりましたが、いかがでしたか。

ライブパフォーマンス『MM』2019年 撮影:木暮伸也

ライブパフォーマンス『MM』2019年 撮影:木暮伸也

:インスタレーションの展示や、パフォーマンス映像などもそうですが、映画館の映画のように、最初から最後まで見るわけではありません。上演中も、見たいように、または見えやすい場所に、自由に動いてもらう―美術に見慣れている人たちが、いつもと同じ感覚で、演劇を見てもらってもいいかなと思い、固定席にしませんでした。

b:「前橋出口」(2014年前橋市芸術文化れんが蔵における前橋の演劇プロジェクトによるツアー演劇)でも、スタンディングでしたが、お客さんは一度居場所が決まると、なかなか動いてくれませんでした。『MM』も、もう少し歩いて見てもらえたら、いろいろな発見があったかもしれません。関係者に歩いてもらったりするんですが、お客さんに動きながらパフォーマンス見てもらうには、ほかにも工夫が必要ですね・・・。
〈エレベーター・ガール〉は写真ですが、すでに被写体の設定が演劇ですね。

最初に注目され、世界的な評価の高い写真作品

《次の階を探してⅠ》(部分)1996年 高松市美術館蔵

《次の階を探してⅠ》(部分)1996年 高松市美術館蔵

:実は1993年の最初にエレベーターガールが登場する作品は、ギャラリーにエレベーターに見立てたものを設置して、生身のエレベーターガールにいてもらったんですよ(「The white casket」/アートスペース虹・京都)。その後も、エレベーターガールのような案内嬢が展示作品を活弁士風に解説するなど、最初の段階から演劇的な要素は強かったようです。その後、生身の人間にずっといてもらうのは難しいということで、表現方法 が「写真」へと変化していきました。

b:なぜエレベーターガールなんでしょう。

:’91年に大学院を卒業後、やなぎさんは、非常勤講師などをされていましたが、その時の社会とのつながりの希薄さ、身の置き場の無さみたいなものと、エレベーターガール=案内嬢の存在がダブって見えました。バブル期の消費生活が盛んな時期にも、デパートの案内嬢はエレベーターという箱の中や、受付コーナーの中で、同じ作業や規格化された言葉を繰り返していました。その後、美術作品として紹介されていく中で、若い女性、美しい女性という、社会から作り上げられた「女性性」を登場させる、フェミニズム的な視点で紹介されるようになりました。ですが、もともとは個人的な体験がもとになっています。
この後一度、案内嬢はなりをひそめますが、2010年以降の演劇プロジェクトの中に再び登場します。

次の《グロリア&レオン》という映像作品は、娼婦と少年が主人公の映画『グロリア』と、中年男と少女が主人公の映画『レオン』を元に、高校演劇の設定で仕立てられた作品です。男と女、そして、守るものと守られるものを、高校演劇部の女子が、男役と女役で演じています。

b:やなぎさんは演劇部だったんですか?

:日本舞踊はなさっていたようですが、ご自身は学生時代、演劇部ではないようです。 神戸のご出身なので、むしろおばあさんやおかあさんがとても宝塚が好きだったんですが、やなぎさん自身は、唐十郎などアングラ演劇のほうが好きだったみたいです。

《My Grandmothers : MINEKO》2002年 高松市美術館蔵

《My Grandmothers : MINEKO》2002年 高松市美術館蔵



:《My Grandmothers》は公募したモデルに、「50年後にどういうおばあさんになっていたいか」をイメージしてもらい、やなぎさんと対話しながら、二人で作り上げた老婆像をビジュアル化しています。20代前半のモデルだと50年後は70代、まだまだ動ける年代なので、リアリティもありつつ、突飛な発想も生かせます。手や顔に特殊メイクを施して撮影しています。

b:一見、親しみのもてる写真ですが、けしてその場の思いつきで撮影しているわけではなく、ずいぶん作りこんでますね。

:モデルとやなぎさんで、かなり対話を重ねています。とはいえ、その前工程や過程が伝えたいわけではなく、あくまでも、今見えている作品から、いろいろ感じてほしいです。

b:ちょっと人形っぽく見えます。

:蝋人形っぽいってことですよね。そう見えますね。

b:今、「おばあさん」の描き方で秀逸なのは、たまたま前橋の中央商店街のお店が撮影場所になっていますが、携帯キャリアの有名女優のおばあさん役。昔ならひっつめがみで、よぼよぼしたおばあさんが登場するのに、スマホ駆使して、見た目も若い。今のリアルなおばあさんって、こうだなと感心します。

:こちらの《My Grandmothers》は、1999年から2009年にかけてのシリーズですが、おばあさんへの幻想-「かわいい」とか、「孫に囲まれて」とか、「おじいさんととも白髪」とか、そういうステロタイプのおばあさんは登場していません。20年前に、すでにそういうおばあさんを想像しています。

また、《ララバイ》という映像作品は、2010年頃制作され、写真作品の寓話シリーズへとつながります。どちらも老婆と少女の出てくる物語ですが、写真作品の〈フェアリー・テール〉シリーズでは、老婆と少女が入れ替わるような見え方をしていて、《ララバイ》の映像作品では、老婆と少女が実際に途中で逆転します。

b:なぜ、おばあさんにこだわるんでしょう。女だから、おばあさんがテーマになるのかもしれませんが、なぜ老いた女性を扱うんでしょう。

:「若い」とか「美しい」が良しとされる価値基準だと、「老いる」ことはよくないことになってしまう。エレベーターガールもそうですが、やなぎさんの一連の作品を見ていると、規制の価値観、特に女性に対する規制の価値観が相対化されていますね。

b:どの作品にも「死」が忍びこんでいるように感じます。最新作の古事記をテーマにした桃の作品も言ってみれば「生と死」だし、ラストのマシン演劇も、役者を死なないマシンに置き換えている。

:映像の老女と少女は仮面をかぶっています。
一般的に、少女は純粋で、老婆は狡猾でいじわると言われることがありますが、それは時代や場所によって違うかもしれないし、おはなしが作られた時代と読まれる時代によっても変わるかもしれない。このシリーズは、そんなことを伝えようとしています。「白雪姫」がベースの作品には、こちらに若い女性が、むこうには仮面をかぶっている老婆が立っていて、二人で一個のりんごを持っています。でもりんごをどちらが渡しているのか、渡されているのか、わかりません。
「ヘンゼルとグレーテル」は、おばあさんが子どもを太らせて食べようとする話ですが、やなぎさんの作品では、どちらがどちらを食べようとしているのか。
そんなことを考えながら見ていただきたいです。
〈フェアリー・テール〉では、各地の寓話や童話を集めて、伝えてゆく、そのストーリーテーラーの役割をサーカスのテントのように描かれた人物が担います。手と足を見てもらうと、若いのか、年寄りなのかわからない、やなぎさんが生み出した、不思議な人物です。

b:もしかしたら、このストーリーテーラーはやなぎさん自身なのではないでしょうか。 やなぎさんは、語り部のようにも思えます。

美術館から劇場 そして野外へと拡張する「演劇プロジェクト」

: これらの作品シリーズを作成したあと、約10年、大きな個展を開催してませんが、その間にやなぎさんは、演劇を作っていました。 こちらは三部作『1924』の第一作『Tokyo-Berlin』では、1924年、関東大震災のわずか10カ月後にこけら落としをした築地小劇場をテーマにしています。

b:演劇をやっている人でも、「演劇史」に興味のある人でないと、なかなか「築地小劇場」をテーマにしないと思うんですが、やなぎさんはなぜ?

:やなぎさんはとても勉強家です。もともと自分は美術の人間だから、演劇をつくるならまずは勉強しようと。その時に、日本初の近代劇場である築地小劇場に興味をもったところ、演劇と美術との違いを考えるだけでなく、日本の近代化を考えるきっかけになったそうです。『Tokyo-Berlin』では、当時ベルリンにいたモホイ=ナジ・ラースローが、東京の村山知義に複製芸術による革新を呼びかけるという架空の設定から物語が展開しますが、ここに今回の展示の最初に出てきた案内嬢が登場して、狂言回しを演じます。 勉強しながら戯曲を書いているうちにどんどん長くなったので三部作にした、とも聞いています。

b:上演場所は劇場ではなく、美術館ですか?

:美術館です。展覧会を鑑賞しながら、だんだん芝居に入っていく仕掛けでした。三部作の三作目『人間機械』では、主人公の村山知義がラスト、前衛美術の作家として収蔵される村山と、街宣車に載って外に出て行ってしまう活動家の村山とに、分裂して描かれます。

b:やなぎさんはこれらの作品を美術と呼んでいるんですか? 演劇と呼んでいるんですか?

:「演劇プロジェクト」とよんでいます。


演劇プロジェクトの展示コーナーには、やなぎさんが戯曲を書いた時の参考文献や、上演の際の小道具、展示方法のスケッチなどが展示されています。展示の構成は、やなぎさんがお持ちになったものを、私たちが並べましたが、やなぎさんが監修しています。
演劇プロジェクトの『パノラマ』は萩原朔太郎の短編小説「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」を絡めながら、パノラマ館を舞台に戦争と大衆の欲望を描いています。これは「KAAT神奈川芸術劇場」と、鳥取の「鳥の劇場」、大阪・なにわ橋駅地下の「駅の劇場」といった劇場やアートスペースで上演されました。『ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ』は太平洋戦争中、「東京ローズ」と名付けられた日系の女性アナウンサー達がテーマになっていて、本格的な劇場作品となっています。 ここでも女性アナウンサーたちは「案内嬢」の衣装を着ています。

b:美術館で演じられるものからだんだん、劇場上演へ移行していくんですね。

:5月19日講演会の中でやなぎさんが言ってましたが、『パノラマ』を作る時、人間が機械化するように感じたといいます。つまり劇場で作品を成立させるには、それぞれが役割を果たせばうまくいくが、歯車がひとつでも狂うとそうはいかないと。それは全体主義につながっていくことを意味する。けれど、いつの間にか自分も、個々の役割がうまく機能することを求めるようになっていた。美術は、そういうものではないというところを表現したかったはずなのに。劇場という空間は、「近代」が作った「ハコモノ」と考えると、その中だからこそ、全体思想が生まれてしまったんじゃないか。だから違うところでやりたいと思いはじめたことが、野外劇につながっていった、とおっしゃってました。

b:日本の江戸時代の舞台も、近代的な舞台とはちがっていました。歌舞伎には基本的に、ヨーロッパの演出家のような、統括したり、絶対的にひとつの方向を指し示す役割はいなかったようですが、劇場もそうだったんじゃないでしょうか。現代の歌舞伎座はある意味、近代的な舞台になっていますが、群馬にもたくさんあった農村歌舞伎舞台みたいなところも含め、江戸時代の歌舞伎は、舞台の上にも客がのって、客も役者も、混然一体となってやられていたところもあるようです。

:いよいよ2014年から、台湾で出会った移動舞台車による野外劇『日輪の翼』がはじまります。今年も秋に神戸港で上演されます。ウイングが全方位に開いて舞台となるステージカーではポールダンサーやタップダンサーがパフォーマンスし、そのまわりにはサーカスパフォーマー用のクレーン車や、照明だけのトラックも登場して、なにかの跡地のようなところを演劇の空間に変えてしまいます。『日輪の翼』の原作は中上健次で、この作品にも「老い」や「おばあさん」が出てきます。出演者も、役者のほかにポールダンサーやサーカスのパフォーマー、公演先の地域ゆかりの人々など、いろいろな分野の人を取り込んでいます。
野外劇なので、どんなに人間が頑張っても台風で中止になるなど、自然の影響をもろに受けます。しかし奇跡的に、空も雲も動植物も人間もすべてがピタッとはまる瞬間があるといいます。その時々で光も、見え方も違う。そんな人智の及ばない作品だったため、やなぎさん自身、仏教的な心持や、達観視するようになったといいます。
ところが逆に「コントロールできるものはないだろうか」と思い、マシン演劇を発想したそうです。実際には、マシンも人間が作り出したものなので、完全なコントロールはできなかったとやなぎさん自身言ってます。あくまでも、人間の知の結晶としてマシンはできているんだ、動いているんだ、とも言ってました。

b:やなぎさんの発想は、どんどん広がるんですね。

:もう、天才過ぎて、やなぎさんの頭の中よくわかりません(笑)。次は、南極でやりたいなんておっしゃってますし…。

日本神話をモチーフに桃を撮影した写真の新作シリーズ

《女神と男神が桃の木の下で別れる:川中島Ⅱ》2016年 作家蔵

《女神と男神が桃の木の下で別れる:川中島Ⅱ》2016年 作家蔵

b:桃の写真って、なんでこんなに官能的なんでしょう。

:桃にはもともと、そういう要素がありますよね。 真っ暗な桃園の中で、あてた照明の灯りだけで、撮影しています。エイトバイテンというフィルムのカメラで撮影しているので、プリントするまでどのように映っているかわから ないそうです。
神話『古事記』のイザナギ(男神)とイザナミ(女神)が桃を投げて決別した部分を描こうとしたわけですから、作品そのものは静物写真ですが、背後のストーリーにはものすごく動きがあります。作りこんだ作品が続きましたが、この作品は作りこんでいない作品です。 2016年から毎年撮影していますが、これも自然相手なので、なかなか思い通りに撮影するのはむずかしい。今年も撮影するそうです。

《桃を投げる》2018年 作家蔵

《桃を投げる》2018年 作家蔵

映像作品の《桃を投げる》は昨年撮影されました。このパフォーマー、実は途中で四足歩行するんですよ。桃を投げているのか、投げられているのか。二足歩行の人間なのか、そうでないのか。いろいろな受け止め方ができます。

展示会場でマシンによってくり広げられる「モバイル・シアター・プロジェクト」

b:この映像が流れて、次に投げられた骸骨のところに来ると、衝撃的!

:あまり言ってないんですけど、骸骨のうしろ、見てみて下さい(笑)

b:うわ、これはびっくり!気づかなかった!!(ぜひ展覧会でご覧ください)

《神話機械・スケッチ》2018年 作家蔵

《神話機械・スケッチ》2018年 作家蔵

:演劇は何度上演しても、けして同じものにはならないですよね。でも、マシンがやったら、同じ演劇を永遠に繰り返すことができるのではないか。美術作品は収蔵され、同じ形で残されていきますが、演劇をそのまま残すのは難しい。でも、マシンなら繰り返し上演ができるのではないか、とやなぎさんは発想して、美術と演劇を対比させました。

今回のモバイル・シアター・プロジェクト《神話機械》は本展のための新作で、やなぎみわさんと各地の大学、高等専門学校、高校と開催館が協働して製作しました。本県からはアーツ前橋とともに群馬工業高等専門校が参加しています。ここには『古事記』をはじめ、ギリシャ悲劇やシェイクスピア、20世紀フランスの美術家マルセル・デュシャンの作品などが重層的に織り込まれています。

三つのマシンがバラバラに動いていても、メインマシンがその間を動き、音を出し、光をあてることで、マシンがなにかを演じたり、意味を伝えているように見える。実はマシンがやっているのではなく、見ている人間がそう思うんですが。

b:図録を拝見したら、のたうちマシーン(メルポメネー)は、もっと生身の人間っぽくしたかったのかなと思ったんですが。

:オールをもったり、剣をもつイメージの発想から入ったけど、有機的なものと無機的なものを組み合わせたかったようです。タレイア(メインマシン)は、造形的には蘭の花をイメージしていて、もっと花びら増やしたかったようです。
当初は、『日輪の翼』に登場するトレーラーを小型にしたものを自動走行させる発想がありました。その最終形が、タレイアになった。日輪でもトレーラー車のまわりにクレーン車やトラックがあったので、連動する役者のようなマシンがあってもいいよね、ということで、三つのサブマシンが生まれた。そんな順番でした。

b:そして、有人公演の演出、ということですね。ご出演の高山のえみさん、秀逸でした。

:『日輪の翼』にも出演なさってましたが、「この役を演じられるのは高山さんだけだった」とやなぎさんも言ってました。
『MM』には、20世紀のドイツの劇作家・演出家ハイナー・ミュラーの戯曲『ハムレットマシーン』等がさらに加わり、生と死の混沌とした世界が描き出されました。

b:アフタートークでやなぎさんは、未完であることと「デウス・エクス・マキナ(機械仕 掛けの神)」について語り、前橋文学館館長の萩原朔美氏は、それを「非/否完」と読み換えました。その一方、学生とともに、のたうちマシン「メルポメネー」を生み出した群馬高専の平社先生は、愛がなければマシンは動かないと言い切ったことに、驚きました。今後、研究室で開発・製作され、2020年JAXAによって打ち上げられる機体は、役割を果たしたおよそ 半年後、宇宙のチリになるというお話にも、物体でしかないはずの「マシン」に、思わずロマンを感じました。
ちなみに、やなぎさんにとっては、ここはどこで、なにを描こうとしたのでしょうか?

:東ドイツのハイナーミュラーが、この作品を発表したのは1977年ですが、掲載されたのは西ドイツの雑誌で、東ドイツで出版が可能になったのは、ドイツが統一された1990年です。 今から40年以上前のことですが、現代だってほんとうに思想統制など無く、言論の自由は守られているのか。今、世界や日本はどんな社会に向かおうとしているのか。あらためて考える機会を与える作品になっているのではないでしょうか。

アーツ前橋 やなぎみわ展 神話機械 サイト
http://www.artsmaebashi.jp/?p=12932

 


辻 瑞生profile
辻瑞生 1978年群馬県桐生市生まれ。2010年からアーツ前橋開館準備に携わり、現在にいたる。主な展覧会は「藍田正雄の江戸小紋」展(2006年高崎市タワー美術館)、「服の記憶 私の服は誰のもの?」展(2014年アーツ前橋)。田中青坪や横堀角次郎の個展など。専門は服飾美学、近現代日本美術。


bonmedia:展覧会の紹介文に「待望された10年ぶりとなる本展では、これまで以上にやなぎみわの組み尽くせぬ創造の泉に迫ります」とあるように、やなぎさんの大きな物語のとらえ方から、細部への綿密なこだわりまで、感じとることができます。虚と実をたくみに織り交ぜながら、社会を描き、社会を相対化させるやなぎさんの作品たち。今回の展覧 会ラストでは、「マシン演劇」が提示されます。これは演劇なのか、なんなのか。またみなさんと語り合う機会をもちたいです。

 

(左)辻瑞生学芸員、(右)グンゲキ・bommedia


やなぎみわ展 神話機械

会期 2019年4月19日~6月23日
会場 アーツ前橋
住所 群馬県前橋市千代田町5-1-16
電話 027-230-1144 開館時間 10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日 水(5月1日は開館)、5月7日
観覧料 一般 600円 / 65 歳以上・学生 400円 / 高校生以下無料 アクセス JR前橋駅北口徒歩10分


 

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