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演劇/微熱少年 vol.2『料理昇降機 / the dumb waiter』直撃取材!!

5月27・28・29日に館林美術館で公演される「演劇/微熱少年 vol.2 『料理昇降機/the dumb waiter』」について、演劇/微熱少年主宰であり、本公演では演出をされる加藤真史さんにインタビューさせていただきました。

―今日はよろしくお願いいたします。
本日は大きく2つ、「料理昇降機(ダムウェイター)」を選ばれた理由と館林美術館で公演をされる背景を伺いたいと思います。

加藤:その二つを分けて語るのは難しいと思っています。
出演される大竹直さんと加藤亮佑さんはどちらも東毛地区のご出身で、かつ同年代でありながら、共演経験も接点も全くありませんでした。ただ、お二人ともご縁があって僕の演出作品に出られていました。
前作の「縁側アロハ」も元々は邑楽町でやる予定でした。邑楽町の中央公民館を作るにあたり青年団を呼んだのも、大竹さんの手引きでした。しかしながら(大竹さんが)邑楽町の舞台に立てない状況が続いており、自分の公演(縁側アロハ)に大竹さんが出演してくれることになりました。結局は太田市民会館での公演になりましたが、大竹さんは「また呼んでください」と言ってくれたのを真に受けて(笑)。そこから「大竹直を呼ぶなら何をするか」、「加藤亮佑と大竹直を共演させるなら何か」と漠然と考えていた時に、偶然館林美術館で興味のある企画をやっていていました。(行ってみると)そこで滞在制作をしているアーティストの星素子さんに会ったんです。その方に話を聞いてみると、「(館林)美術館も新しい使い方を考えているのだろう」という話が出てきました。そういうことであればと、企画を持って学芸員を訪ねてみました。最初は近所の演劇好きのおじさんが来ると思っていたようなのですが(笑)企画書を見せたところちゃんとした公演だと理解していただいて、滞在制作をさせていただくことになりました。
滞在制作は「群馬で、演劇で」となると聞いたことがなかったのですが、良い形だとは思っていました。ただ東毛地区は太田市以外に宿泊施設が乏しいので、拠点のある人にやってもらおうと思いました。(出演の)お二人も実家があるので、(館林美術館は)三人とも自転車で通える距離になります。だから最初は三人で小さくやろうと思っていたのですが、美術館の期待が意外にも大きくて(笑)結構大掛かりなことになりました。


加藤:ここまでが「館林美術館で公演をすることになった経緯」です。「料理昇降機」を選んだ理由は、(公演を)美術館のワークショップ室でやると決まって、その空間を見た時に「ここで二人芝居ならピンターだ。料理昇降機だ。」と一瞬で閃いたからです。決めたのは去年の11月なのですが、「世界が良くない方向に行っているな」というイメージがあったんですね。当時からクリミア半島がマズイ状況だな、とは思っていたし、専制主義と民主主義という言葉の上での対立が起こるだろう、とも思っていました。前作の縁側アロハでもそうでしたが、僕は狭い世界を描きながら世界全体を描こうとしています。ピンターも明らかにそういう書き方をしていて、狭い地下室で行われていることは、結局世界のことなんだと。それを描こうと明確に思っていました。自分自身がものを書く時のテーマはずっと「個と全体の関係性」なんです。今回の公演で言えば「人間と世界」を描こうと思っています。それぞれ(別)の考えを持った人たち同士では、同じようなことをしていても分断されていく。その要因が外部からの要請ということもある。自分の中の戒めや忖度など、文化資本として自分が持っているものが相手とのズレを生んでいく。そういったことが非常にシンプルに描かれている作品だと思っています。
この作品の思想的背景は1950年代の「二つの世界大戦後の反省を踏まえてどう生きていくのか」という時代のものです。その影響下でベケットが「ゴドーを待ちながら」を書き、現代演劇がスタートしますが、本作はこれと構造が同じなんです。「ゴドーを待ちながら」は最初「靴を脱ごうとしているが、脱げない」ところから始まり、「ダムウェイター」は「靴を履こうとしているが、履けない」から始まるところや、最初と最後が同じ構造で終わるなど。それらは全部計算で書かれている。ただ、ピンターはベケットがやらなかった「現実との地続き」を書いているんですね。ベケットは架空の空間を作るけれども、ピンターは具体的に現実生活との地続きで作っている。そういう意味では、リアリティを持ってやらなきゃいけないというのが僕の中にありました。ピンターが書いて70年経ちますが、「今当時と同じようなことが起こっているのではないだろうか」という気持ちもあり、ピンターがやろうとしていたことを、現代の日本で、日本語で、日本人が演出して、日本人が演じて、日本のお客さんにちゃんとコンテクストを届けるためにどういう演出ができるか、という考え方をしました。こういった理由で「ダムウェイター」を選びました。 「こうでなければいけない」というメッセージを投げかけるものではないのですが、自分達が置かれている状況を客観的に考えるときに演劇はどのように状況を提示するか、というのは現代演劇の基本的なテーマだと思っています。考えるテーマをちゃんと提示する、ということですね。そういう意味では現代演劇の根っこにある部分を出した方がいいかと思って。

―「ダムウェイター」をきっかけにお客さんが考え始める、ということでしょうか。

加藤:そうですね。あと最近こういう演劇を群馬で観てないなと(笑)
何かから逃げているのはダメだと思ったんですよね。演劇を作る人間は、自分が楽しむためにやってるだけじゃなくて、演劇を作ることで世界をこう見てます、こう見えてますということをちゃんと描かないといけないんだろうな、というのはずっと思っています。普段は自分で書いていますが、書かないことで出すものってなんだろうな、と。人の作品をやるのは誤解が生じる可能性があるので怖いんですが、一昨年「紙風船」の演出をしたときに「劇作家というのは同じようなことを考えているぞ」と気づいて、さらに書いた作家の思考の枠組みが見えてきたんです。僕は演出家ではなく、劇作家だなというのは段々わかってきたのですが(笑)それは岸田國士の作品を演出したからなんです。例えば、僕が平田オリザの作品を演出すると、考えていることが似ているので、割と素直にできました。でも岸田國士は時代も考えていることも明らかに違うから、持っているコンテクストがずれている。だけど、岸田國士の作品をやっていると岸田國士の思考の枠組みが見えてくる。そうすると、自分と似ている部分を抽出することで、岸田國士の思考の枠組みを正確に演出するためには何をすればいいか、という演出方法が見えました。それなら、他の人の作品をやることで自分が劇作家として思考の枠組みを整理する役に立つと思ったので、積極的に他人の作品の演出をしたいと思った時期だったんですね。それで、外国の、翻訳戯曲はどうなんだろと思ってピンターを選んだわけです。
ピンターは、やってみるとものすごい厄介で、契約上も(ピンターが)書いたこと以外言ってはいけないし、書いたこと以外やってはいけない。一言一句変えてはいけないし、書いてあることは全部やらないといけない、と書いてある。翻訳者は、ピンターと同じだけ言葉に責任を持たないといけないので、翻訳者の名前はピンターと同じ大きさで書け、とか(笑)でも(翻訳者の)喜志先生の訳は50年前の日本語なので、現代語ではなく、しかも直訳なので日本語としておかしい部分もある。これを現代に届けるために、どこまで構成としてその日本語を現代のものにできるか、というのもチャレンジでした。(本公演では)冒頭と最後では直訳を使っています。言葉が体から乖離している状態、自分の言葉でないことを俳優に喋らせる。しかも自分の言葉で無いように喋らせたいので、そうしています。その構造には間違いなく意味があるというのは、自分が劇作家だから気付けたことですね。ちゃんとした日本語は現代の俳優は現代語としてすごく自然にできる。ましてや大竹さんや亮佑さんのような、経験も実力もある俳優はすぐに喋れてしまいます。しかし、彼らが喋りたくない、喋れない日本語がその前後にあることで、その喋れる部分が意味を持ってくる。喋れない部分も含めて意味を持ってくる。翻訳戯曲というのはそういった構造を持てる可能性があると気付いたんですね。
言葉の構造や、それを書いている人の属する文化集団の背景はわからないけれども、それが書かれていることで起こる意味を拾い上げて伝えなければならないというのが、翻訳戯曲を演出する時のポイントだと思っています。そのために、元々持っていた言語の構造を変えてしまう……超訳みたいなもの、あるじゃないですか。あれがどうも苦手で(笑)自分達がやりづらいからこう自分たちの判るコンテクストに置き換えちゃおう、っていうのを超訳って言うのは狡いなと思うんですよね。それは元々の言語が持っているコンテクストに責任を持ってないということなんで、やっちゃダメだろうと。それも書く人間だから見えてきたことだと思います。


加藤:ここまでがこの戯曲をやる理由と、やって気付いたこと、ですかね。向き合えば向き合うほど、今やるべき作品だと思いました。演劇をやっている若い人たちが翻訳戯曲に触れる機会が極端に減っているような気がしていて。大学とかで演劇を専門に勉強した人たちはチェーホフや清水邦夫を読んだりしますけど、そういった古典に触れる機会は持った方がいいな、と。そこでピンターはなかなか上がらないので、やった方がいいんだろうな、とか、いろいろ考えましたね。ピンターは面白いですよ。特に劇作家からするととても学びがあります。彼がノーベル文学賞を獲った時の記念講演ではすごく怒っていたんですよ。言葉が破壊されている、と。言葉を違う良い言葉で置き換えて、悪いことを良く見せることが許せない、という趣旨でしたね。例えば、アメリカ軍がニカラグアのサンディニスタ政権を攻撃したことを「解放」だとアメリカは言ったけれども、サンディニスタ政権は国民の暮らしを向上させることをやったのだからそれはダメなんだ、のようなことをピンターは端的に「言葉の破壊」と言っていました。実際に行われていたのは殺戮だったりする訳ですよ。「殺戮」を「解放」と言い換える。これはダメなんだとすごく怒っていました。その流れから、アメリカのイラク侵攻を手厳しく批判する、というのが講演の趣旨でしたね。(今は)その時ピンターが怒っていたのと同じことをロシアがやっているんです。ロシアがやっていることは非難されるべきことなんだけど、一方でロシアがやっていることをこちら側のフィルターを通して見せることを西側はやっていないかと考えないといけない、とも思うんですよね。ロシアがウクライナに侵攻しているという事実があって、それはそれぞれの価値観があって起こっている。その価値観とは全体で何のか、というのを立体化しないといけない。これは報道の役目だと思いますが、どうもやらなくなってしまった。報道というのは19世紀以降の発明品ですから、その発明品がその機能を失っていくのであれば何らかのもので代替しないといけない。元々報道の一部を演劇が担っていたと思うんですよね。演劇は直接的には書かないので、今の状況から類推することを提示する、ということをやりたいと思います。

―かなり深い部分までお話いただきありがとうございます。
より気軽に公演を楽しみたい方向けにもコメントいただきたいのですが、いかがでしょうか?

加藤:そうですね……モンティパイソンが好きな方は面白いと思いますよ。モンティパイソンが始まる元だったりしますから。ギリシャ時代からそうなんですが、悲劇をやっている間に挟まる短い喜劇があるんですよ。大きな悲劇の間に笑えるのを挟んでいくんですけど、それを独立して近代演劇に引き上げたのはチェーホフです。チェーホフがやっていることをイギリスの文化で皮肉に持っていき、さらに笑いの要素を持ち上げればモンティパイソンやビートルズになります。ビートルズなんて大人をおちょくりながらずっとやってましたからね(笑)そこからこの形式は世界中に伝播していく訳です。日本では1960年代後半にお笑いの革命がありましたが、その影響の中にあったと思っています。コント55号やツービート、モンティパイソンの影響で言えばタモリもですよね。社会に対してのアンチだったお笑い、(ダムウェイターでは)その系譜を再検証したいという思いもありました。

―そういったものが好きな人なら笑えるような劇になっているということですかね。

加藤:黒い笑いですよね。藤子不二夫Aとか。ああいう、笑いながら笑っていられない状況。演劇はそういうところを描くのが得意なんだと思います。そういうのも見せたかったですね。


加藤:(会場を選んだ背景には)館林美術館側の問題もあります。
近代的な意味では、美術館はアートの収集・展示・保存が役割でした。博物館の中での美術分野を担っていたという訳です。(そのシステムができた)当時のテクノロジーでいうと、美術というのは絵や彫刻のことですが、アートそのものがテクノロジーによって規定されるようになると、映像や音響をやる人も出てくるようになり、音楽や美術、演劇の境界がどんどん曖昧になっていきました。(例えば)映画も一つのアートだとすれば、スクリーンで見るものや回遊で見るものもあっただろう、と。そうすると、新しい価値の提示をする場所に美術館が変わってくる。おそらくは館林美術館にもそういう風に変わっていきたいという内的な欲求があったんじゃないかと思っています。それがたまたま僕の提案と合致したのだと。「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」、「中之条ビエンナーレ」、「横浜トリエンナーレ」や「あいちトリエンナーレ」などの芸術祭にも演劇が取り入れられていますよね。美術や音楽や演劇は、境界を超えてコラボレーションすることで生まれる価値を作っていく場として機能していけばいいなという思いはあります。それが館林美術館に響いたのではないかと。館林美術館が設立20年を終えて、(今後のことを)色々模索していくお手伝いができるというのはとても光栄なことだと思います。演劇そのものも音楽作ったり、美術作ったり、言葉を使ったり、ダンスしたりとある訳ですから、広い意味で演劇、アートを起点にいろんなものが繋がっていければと思っています。

―スタッフにも地元の方が多いと伺っています。その辺りのこともお伺いしたいです。加えて、微熱少年さんの今後についても伺えればと思います。

加藤:(最初の三人が会場にとても近い場所に拠点を持っているので、)その距離感に住んでいる人やゆかりのある人を使おうと思いました。東毛人脈でやってみようと。演出助手では東毛地区にゆかりのある三人の俳優さんに入っていただいていますが、所謂演出助手の仕事とはちょっと違っていて、俳優さんが演出に(お客さんが)関わる補助をしてくれています。お客さんが来て、気持ちよく観て帰っていただくための演出周りのことを俳優さんがやってくれている、という演出助手(の仕事)なんですね。

―難しいですね……。

加藤:美術館で誘導やお迎えをするので、ある種の世界観を持って演じてもらうキャストとしてご参加いただいています。(簡単に言えば)ディズニーランドのキャストですよ。だから、俳優さんでなければいけなかった。だから三人の演出助手は、東毛出身の俳優さんなんです。

―なるほど。

加藤:美術は最初ない予定だったんですが、突き詰めていくと、美術館で美術を作らずにベッドだけ持ち込むのもおかしいよなぁと思いました。六尺堂の杉山至さんは昔から知っていたので頼もうかと思ったのですが、青年団と一緒に豊岡に移転されていまして。厳しいかと思っていたところ、六尺堂が大宮に移転してきたんですね。これは…と思い、メールしてみると、濱崎賢二さんという超ビッグネームが来てしまったと(笑)

加藤:今商業的なことで自分のやりたいことを東京でやろうとすると難しくなっちゃって、制作の場を郊外に移す人がいっぱいいるんですね。鈴木忠志さんが富山に移ったり、串田和美さんが長野に移ったり、倉本聰さんが富良野に行ったのもそうだし。脱・東京の流れが出てきて、演劇はそれぞれの地方から発信していける環境はできてきたかな、と思います。例えば、青森に渡辺源四郎商店があったりだとか、八戸や盛岡で演劇をしている人たちだとか、水戸の芸術館が拠点になって茨城の演劇が盛り上がっているだとか、岐阜の可児市文化創造センターだとか、埼玉のキラリふじみだとか。劇場法ができてから劇場が中心になって演劇活動が生まれ、新しい作品が出てきたりもするわけですよ。その中から、例えば飴屋法水さんの「ブルーシート」みたいに、地方で作られた演劇が岸田國士戯曲賞を取ったりもするようになったわけです。
演劇/微熱少年は元々自分の住んでいるところを中心にやろうと思っていました。まだ子育て中なので飛び回ってもできませんし、だったら自分がいるところを発信地にしていこうと。演劇/微熱少年は、ここから全世界に向けて発信しているつもりではいます。届いているかはわからないですよ、実力と実績がどう評価されるかはわからないので。平田オリザさんが豊岡で演劇祭を立ち上げる時の記者会見で、見事なことを言っていました。「世界でいろんな演劇祭がありますけど、僕がここで演劇祭をやるからには演劇の中心地はここになります。」って。あぁすげぇなって思って(笑)でもアーティストが自分で拠点を持ってやるのであれば、それはそうなんだろうなと思ったんですよね。事実としては、地球は宇宙の中心ではないから地動説なんですけど、でも自分が中心になって世界が広がっていると思えば、天動説なんですね(笑)それは物の見方の問題で、科学と概念のずれですよね。だとすれば、俺はここを中心にしていこうと。太田市で作るなら太田市が拠点になるし、館林美術館で作るなら館林美術館を中心に世界に価値を発信していこうと思っています。

―どうもありがとうございました!

予告編①

予告編②

編集部より

本作のみに留まることなく、演劇への並々ならぬ思いを語ってくれた加藤さん。その知識量と熱量には強いプロフェッショナルを感じました。

「料理昇降機(ダム・ウェイター)」は現在予約受付中です!
キャストはもちろん、スタッフも売れっ子の方ばかりの大変豪華な公演となっています。
すでに相当数埋まっておりますので、お早めのご予約をオススメします!

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